町内指定文化財一覧【県指定文化財】

更新日:2024年04月01日

12件(2024年4月現在)

6 法泉寺庭園(ほうせんじていえん)

所在地:相可 法泉寺
年代:江戸時代
指定:昭和12年11月12日

たくさんの木々の奥に法泉寺の建物が見える庭園の写真

旧法泉寺は填啓上人が万治2年(1659)に初めてこの地に小庵を結び、その後、至徳5年(1715)梅嶺和尚によって開山された。この庭園は、江戸時代から「天啓のもみじ」として伊勢に広く知れわたり、四季を通じて多くの文人ここに遊んだ。

7 フウ樹(ふうじゅ)

所在地:相可
年代:
指定:昭和12年11月18日

住宅街の一角にたくさんの葉がついている大きなフウ樹がある写真

マンサク科の落葉高木で、台湾と中国西南部に自生する。享保年間(1716~36)幕府が命じて江戸城と日光山に植えられたのが最初とされる。これから樹脂をとり薬用にした。相可大和屋11代西村廣休(1816~89)は本草学者で、宅地に植物園をつくり、2,000種類に近い植物を植えたと伝えられるが、その時栽培していた中のひとつといわれている。

8 陶経筒(とうきょうづつ)

所在地:丹生 神宮寺
年代:平安時代
指定:昭和29年4月1日

円筒形で表面に文字が彫られている経筒の写真

口径15.3センチメートル、器高27センチメートルの円筒形の経筒。僧観秀が承安2年(1172)に如法経を経筒に入れ、末法の世に経典が失われないように埋めたとされている。

9 紙本墨書神事頭番帳(しほんぼくしょしんじとうばんちょう)

所在地:多気郷土資料館(井内林 津田神社より寄託)
年代:室町時代
指定:昭和31年12月5日

木箱と黄金色の紙本墨書神事頭番帳の写真

応永34年(1427)から元亀3年(1572)に至る相可郷中村天王八王子社の神事に関する当番を記したもの。当時の村人の名や宮座などを知ることができ貴重な資料である。

10 木造神像男神坐像・女神坐像(もくぞうしんぞうだんしんざぞうじょしんざぞう)

所在地:河田 御霊神社
年代:平安時代
指定:昭和37年2月14日

木彫りの神像男神坐像・女神坐像が並んでいる写真

高は57.5センチメートルと53.0センチメートル。檜材の一木造り。男神は少彦名命。女神は市寸嶋姫命といわれる。

11 栃ヶ池湿地植物群落(とちがいけしっちしょくぶつぐんらく)

所在地:野中
年代:
指定:昭和38年9月12日

森に囲まれた大きな農業用ため池の写真

栃ヶ池は面積10ヘクタールの農業用溜池で、池底が浅く皿池とも呼ばれている。池の周りには矮性のクチナシが自生し、一時は1,000株ほどもあったが、池の改修や道路工事等のために減少した。南限の自生群落として貴重なものである。クチナシのほか、ノハナショウブ・スゲ・カキツバタ・ミズハナビ・ツルヨシなどの湿地性植物が群生している。

12 坂倉遺跡(さかくらいせき)

所在地:東池上
年代:縄文時代
指定:昭和50年3月27日

番号が書かれた盛り土が点々とある坂倉遺跡の写真

縄文時代早期の集落跡。住居跡状の土坑及び炉跡19ヶ所が確認された。炉跡はU字形で天井部をもつ構造上極めて特殊な形で、全国的に珍しい。同時に見つかった土器は三重県では初めて出土した押型文土器で、その型式は土器研究の基準資料の一つとなっている。発掘された遺構の状況から、数軒程度の集落があったものと推定されている。現在は「坂倉遺跡公園」(1,011平方メートル)として保存されている。

13 絹本著色阿弥陀二十五菩薩来迎図(けんぽんちゃくしょくあみだにじゅうごぼさつらいごうず)

所在地:丹生 西導寺
年代:室町時代
指定:昭和51年3月31日

阿弥陀如来と25の聖衆が描かれている絹本著色阿弥陀二十五菩薩来迎図の写真

147センチメートル、横159センチメートルの絹本著色。音楽を奏でながら雲に乗り、極楽浄土から来迎する阿弥陀如来と25の聖衆が描かれている。平安後期になって、貴族社会に浄土信仰が浸透するにともない、盛んに描かれるようになった、阿弥陀来迎図の一形式である。

14 鰐口(わにぐち)

所在地:五桂 珊瑚寺
年代:南北朝時代
指定:平成4年2月21日

径37センチメートル、厚さ17センチメートルの青銅製の鰐口の写真

径37センチメートル、厚さ17センチメートルの青銅製。珊瑚寺は延暦17年(798)の創建、この鰐口は、至徳2年(1385)大工藤原師光によって鋳造され伊賀国の佛土寺に奉献され、弘治3年(1557)、珊瑚寺に移された。

15 近長谷寺本堂(きんちょうこくじほんどう)

所在地:長谷 近長谷寺
年代:江戸時代
指定:平成21年3月11日

木々に覆われた近長谷寺本堂の前に砂利の庭園がある写真

桁行6間、梁間5間、入母屋造り、本瓦葺き、妻入り、一間向拝付で、南面建ちの大型密教仏堂(五間堂)である。内部に6.6メートルの本尊十一面観音を安置するに必要な巨大空間を確保するため、周囲の柱に直接組物を置き、中央は梁と束によって無柱の内部空間を実現するなど、近世的な構造技術を駆使した建築である。建築年代(元禄7年1694)も明確で、建築に関わった森万右衛門は、他にも専修寺御影堂厨子、善光寺本堂などの重要な作例を残しており、その技術的意匠的傾向を把握する上でも重要である。

16 十一面観音菩薩立像(小)(じゅういちめんかんのんぼさつりゅうぞう しょう)

所在地:三疋田 霊山寺
年代:平安時代
指定:平成21年3月11日

像高167.5センチ、丸顔の十一面観音菩薩立像(小)の写真

像高167.5センチメートル。檜の一木造り。頭上の化仏の一部や両足先・両手首先・左右の天衣垂下部等に修復あとがある。衣の彫り方や重心が低く量感に富んだ体形に、平安前期の名残りを留めている。

17 十一面観音菩薩立像(大)(じゅういちめんかんのんぼさつりゅうぞう だい)

所在地:三疋田 霊山寺
年代:平安時代
指定:平成21年3月11日

像高178.7センチ、頭上が金色の十一面観音菩薩立像(大)の写真

像高178.7センチメートル。檜材を縦に割り、内側を刳り貫いた後、再び合わせて仕上げる「割矧造」と呼ばれる技法で作られている。頭上の化仏や両足先・左手首先等に補修のあとがあるが、基本的な部分は当初の彫技をよく伝えている。

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